いつかみた風景

柿の実が色づけば

今年も柿の実が真っ赤に色づいた。
たわわに実った柿の木を見上げると、また思いが甦ってくる。それは母が、少しずつ記憶を失いかけていた頃だった。

家の裏の富有柿は、晩秋になると色づき甘くなる。毎年母は、長い竹で器用に柿の実を採っていた。その年に限って、母の奇妙な行動が目についた。柿の皮をむいてひもにつるし、軒下にぶら下げているのだ。渋柿は、この方法でしばらくおいておくと、柔らかく甘くなる。それを甘い富有柿でしているのだ。
理由を聞いて愕然とした。
「こうしないと食べられない」と言うのだ。母は渋柿だと思っていたのだ。
記憶のメカニズムは、一体どうなっているのだろう。母の異変に気づいてはいたが、こんな記憶までなくなってしまうことに驚いた。

今のように農業が機械化されるまでは、秋の収穫と柿が熟する時期が、ほぼ一緒だった。稲刈りの休憩にはいつも柿を食べていた。秋晴れの空を見上げながら、母がむいた柿をみんなで食べたものだ。甘く瑞々しい柿は、農作業の疲れを癒してくれた。
決して豊かではなかったけれど、満ち足りていた。
何十年とそんなことを繰り返してきたのに、母の記憶の中から跡形もなく消え、ぽっかりと大きな穴があいてしまっている。
柿の皮をせっせとむいてつるしている母が、無性に哀れに思えた。

人は幸せだった頃の思いを記憶にしまって、歳を重ねていく。そしてその記憶を胸に秘めて逝くのだと思いたい。母は何を胸に逝ったのだろう。
それでも母の最後は安らかだった。これまでの記憶を全部空白にして、真っさらな記憶の部屋に、その後の幸せなことだけを閉じこめ、なくなったのかもしれない。

柿の木にカラスがとまっている。
カラスよ柿をつつかないでくれ。それは母が大事にしていた柿なのだから・・・。

柿の実が真っ赤に色づけば、やがて白い季節が訪れる。(01.10.22)

いつかみた風景