いつか見ら風景それぞれのシーン

「二十日鼠と人間」

何とも地味な邦題のついた映画です。 これはノーベル賞作家スタインベックの原作を、そのまま映画化したためだと思います。もともとこの原作自体が戯曲形式のように書かれているので、映画を見てから原作を読んでも、その逆でも違和感なく入り込めます。

「二十日鼠と人間」の原題「Of Mice and Men」はスコットランドの詩人ロバート・バーンズの詩「ハツカネズミ」の第7節からとったものです。
    ハツカネズミと人間のこのうえもなき企ても
    やがてのちには 狂いゆき
    あとに残るはただ単に悲しみそして苦しみで
    約束のよろこび消えはてぬ
         (新潮社「ハツカネズミと人間」大浦暁生訳)
あまりにも作品の内容そのもので、とても切ない思いがします。

スタインベックの代表作といえば「怒りの葡萄」や「エデンの東」がありますが、私はこの短編が好きです。原作にもましてこの映画は素晴らしいものになっています。それは制作・監督・主演を兼ねた、ゲイリー・シニーズの力によるところが大きいと思います。 言葉少なに淡々と描くことによって、よけいに人間の優しさと悲しみが浮き彫りになっています。いつまでも温かさと切なさが心に残ります。

オープニングはいきなり二人の労働者が追われて逃げ惑うことろから始まります。不況風が吹きすさぶ農村地帯を渡り歩く二人の対照的な労働者。 知的でしっかり者の小柄なジョージ(ゲイリー・シニーズ)と頭の弱い力持ちの大男レニー(「シークレット・サービス」で凶悪犯を演じたあの、ジョン・マルコビッチ)は幼なじみ。いつもレニーが引き起こすトラブルであちこちの農場を追われて、流れていく生活をしています。
物語は木曜日の夕方から日曜日の夕方までの4日間に、場所を農場だけに限り、一貫した外面描写に徹して描かれています。
二人が前にいた農場を追われて新しい農場にたどりつき、また追われるまでの出来事。

二人には一つの夢がありました。お金を貯めて二人の農場を持つこと。 レニーはいつもその話をするようにジョージにせがみます。
またかと思いながらも、話しはじめるとジョージもいつしかその夢の話に夢中になっていきます。けれどそれは所詮夢物語にしか過ぎません。 社会の底辺で必死に生きる二人のせめてもの慰めにしか。
それでも、子供の知能と心しか持ちあわせていないレニーも力仕事となると、人の二倍三倍の力を発揮し、そんなレニーの働きぶりが認められ順調に運びます。
そんなとき、掃除夫の老人が飼っている年老いた病気の犬を、殺す話が持ち上がります。年老いて病気のため餌も食べず、よぼよぼで満足に歩くこともできなくなっていました。そのうえ臭いがひどいので、楽にしてやるほうが犬のためだと仲間から言われますが、長年苦楽をともにしてきた老人にとっては唯一の友達であったため、どうしても決断できませんでした。 それでも労働者のリーダーにまで言われては、もう拒むことはできませんでした。仲間の一人が拳銃で後頭部を・・・
この出来事がジョージとレニーの運命に暗い影を落としますが、そのときの二人にそんなことはわかるはずもありませんでした。
二人の夢物語のはずだった農場の話が、自分も仲間に入れてくれるなら、資金を提供するという老人の申出に、急に現実味を帯びてきます。
三人が自分達の農場の夢に胸躍らせていること、さらに邪悪な影が密かに忍び寄っていました。農場主の息子の妻のからかいにのせられたレニーが、無意識のうちに彼女を殺してしまいます。
トラブルに巻き込まれたら逃げてくるように約束していた川岸で、二人は落ち合います。そこは二人がはじめてこの農場に来たときに野宿をした場所でした。
そして二人の農場の夢をレニーに聞かせた同じ場所で、ジョージは悲しい決断をしなければなりませんでした。
自分を信じて疑わない友人を、殺さなければならないジョージの悲痛な叫びが、聞こえてくるようです。
追手の馬の蹄の音や犬の鳴き声と一緒に、ジョージの耳には最愛の友をなくした老人の言葉が聞こえていたのかもしれません。
「あの犬は自分で撃てばよかった。よそのやつに撃たせるんじゃなかった」
捕まってリンチにあったあげく殺されるなら、自分の手でレニーに楽しい夢を見させ続けてやりたい。
友情とか人間愛とかいう使いふるされた言葉の重みが、ずしりと胸にこたえます。思わず熱いものが込み上げてきます。

「この前みたいに話してくれ。ほかの連中やおいら達のこと」
「向こうを見ろ。そうすりゃ目に見えるように話してやる」
言われた通り川下を向いてすわるレニー
「流れ者には家族はいない。身寄りなんか誰一人いない」
「でもおいら達は違うんだろう?」
レニーの肩に顔を押し当て泣くジョージ
二人に襲い掛かっている運命も知らず、笑顔でジョージの言葉を待つレニー
「違うさ」
「なぜだ?」
「お前がいる」
「おいらにもあんたがいる。お互い気にしている。これからのことも話してくれ」
「農場を持つ」
「そうだ。小さな農場を持って、そして・・・」
「牛や豚を飼って、それに少しの鶏も飼おう」
「平地にはうさぎのために、ウマゴヤシを作って世話する・・・」
子供のように嬉しそうに夢中で話すレニー
涙を堪え立ち上がり、拳銃をレニーの後頭部に構えるジョージ
銃声とともに倒れるレニー
動かなくなったレニーのそばにすわりうなだれるジョージ

そんな二人をカメラは優しく見つめながら、列車の中のジョージをダブらせていきます。原作とは違う、列車の中のジョージと農作業を終え、並んで歩く二人の後ろ姿のラストシーンで、映画は原作よりも何倍も素晴らしいものになっています。

ジョージはいつも思っていました。 レニーさえいなければ、自分一人ならもっとうまく生きられる。 トラブルなんて抱え込まなくてすむ。
でもレニーには自分が必要だ。自分がいなければレニーは駄目になってしまうと。
けれどレニーを亡くして、列車の窓に映る独りぼっちの惨めな自分をみていると、ジョージにははっきりとわかりました。
本当はレニーを必要としていたのは自分だった。レニーはもう一人の自分だったのだと。
ジョージは涙で見つめる窓ガラスに、自分とレニーの姿を見たのかもしれません。二人で夢見た二人の農場を・・・。

’92・アメリカ
原作        ジョン・スタインベック
制作・監督    ゲイリー・シニーズ
脚本        ホートン・フート
撮影        ケネス・マクミラン
音楽        マーク・アイシャム
出演        ゲイリー・シニーズ(ジョージ)
          ジョン・マルコビッチ(レニー)
           レイ・ウォルストン
           ケイシー・シーマスコ他

 

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