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折り鶴

憶えていますか?
二人でよく行ったあの店。今はもう名前も人も変わってしまったんですよ。
店内はいつもほの暗くて、お香のいい香りに包まれていました。私たちの指定席は、一番奥の隅っこでしたね。
私はイスに吸い込まれるように腰掛けて、薄暗い壁を眺めながらあなたを待ったものでした。あなたはいつだって息を切らして入ってきました。
お茶の帰りにはいつもお菓子を持って来て、「一緒になったら、二人でお茶席へ行く機会だってある」と、私に抹茶を注文するように言いましたね。
そんなことを考えると、私は何だか気恥ずかしかったけれど、そう言いながら笑うあなたの屈託のない笑顔が、とても好きでした。一日の終わりにあなたの笑顔を見ると、嫌なことも疲れも忘れてしまいました。
随分若かったのですね。二人とも。先のことなど考えもしないで、一緒にいられるだけで幸せでした。そしてそんな幸せがずっと続くと思っていたのですから。

あなたは笑うかもしれませんが、こんな手紙を書きながら、とても懐かしく思い出しています。そう言えばもう一つ思い出しました。
ドライブで遠出をした帰り道、私が初めて告げた時のことです。カーラジオから「折り鶴」が流れていました。私は照れくさかったから、歌声で誤魔化そうとしたのに、あなたはスイッチを切ってしまいました。

みんな夢だったのです。
叶うはずのない夢を見ていたのです。夢はいつかは醒めるものです。あなたの涙で夢が終わったように。
私は一人になってもしばらくは、相変わらずあの席であなたを待っていました。あなたが来ないとわかっていても、そうすることで終わってしまった夢が見られるような気がしていたのです。
あなたが結婚されたことを、誰かが教えてくれました。それを待っていてくれたかのように、あの店もなくなりました。私にはもう夢を見る席がなくなってしまいました。

あれはいつのことだったか、偶然街であなたを見かけました。あなたにそっくりな女の子と、私の知らない男の人と三人手をつないで楽しそうに歩いているあなたを。
幸せそうなあなたの、昔のままの笑顔がとても眩しくて、私はうれしくなりました。あの頃のことなど忘れて、幸せな生活をしているのだから、それでいいと思いました。
そう思いながら、隠れるように人混みに紛れる私は、一体何なのでしょう。私はまだあの店の隅っこに座っているのかも知れません。

あなたはいなくなったけれど、私は相変わらず夢を見ています。叶うはずのない夢を。 これからもきっと見続けるでしょう。あの頃のあなたの、かけがえのない笑顔と一緒に。
もしかしたら私は、あの時の折り鶴をずっと折っているのかもしれません。


誰が教えてくれたのか
忘れたけれど折り鶴を
無邪気だったあの頃
今は願い事
折ってたたんで裏がえし
まだ憶えてた折り鶴を
今あの人の胸に
飛ばす夕暮れどき
・・・・

(「折り鶴」作詞:安井かずみ)

(02.04.25)

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