古時計
いつからあったのか憶えていないが、古い時計が柱にかかっていた。
元々時刻の数だけ時報の音を鳴らしていたのだろうが、私が物心ついた頃には、何時でも一回ボーンとなるだけだった。すすけて黒くなった柱にかかった時計は、なぜかさみしげに時を告げていた。
父はそれこそ一年365日一日も休まずに、毎朝6時に時計のゼンマイを巻いていた。6時前にはゼンマイを巻き、終わるのと同時にボーンと時計は鳴った。
父は元々そういう人だった。決められたことを頑固なまでに、決められたとおりにやる性格だった。
子供の頃は、父がそうやってゼンマイを巻くのを見るのが好きだった。何か特別な儀式のような気がして、自分も早く父に代わって、ゼンマイを巻けるようになりたいと思った。
そんな思いも大人になるとどこかへ置き忘れて、父がゼンマイを巻いていることすら、いつしか気に留めなくなった。
晩年に父は倒れ床に伏せった。ゼンマイを巻かれなくなった時計は、ちゃんと意思表示をするかのように、時を告げなくなった。
私はその時になってやっと思い出した。父が欠かさずゼンマイを巻いていたこと。そんな父の姿を眺めていた子供の自分を。
けれど私はゼンマイを巻かなかった。時計も父が元気になって、また巻いてくれるのを待っているような気がした。私が巻けば、父はもう起きあがれなくなってしまうと思った。
夏が過ぎ秋が行った。冬を越すこともなく、父は逝ってしまった。倒れてから二度とゼンマイを巻くことはなかった。
葬儀の日、私は菊の花に隠して、時計を棺に忍ばせた。
時計を外した柱は、まるでそこにまだあるかのように、白く型が残った。
初七日が過ぎた頃、私は何度もあのボーンという時計の音を聞いた。
それは父からの合図のように、私にしか聞こえない音だった。
(02.05.24)
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