古い名刺
父が亡くなって3年が過ぎようとしているが、生前使っていた書棚は、そのままにしていた。特別どうということはなかったけれど、手をかけるのがなんとなく忍びなかった。
それでもいつまでもそのままにしておくわけにもいかないので、少しずつ整理をすることにした。引き出しの中には、古い領収書や診察券、無効になった通帳など、どうしてこんな物を大切に保管しているのかと、首を傾げたくなるようなものもしまわれていた。
古びた皮の名刺入れの中には、私が勤めて最初に作ったと思われる名刺が大切にしまってあった。私はもう捨ててしまっていたので、昔の自分に出会ったような、妙な懐かしさをおぼえた。
勤めを辞めるときに詳しく話さなかったので、父は辞めることに賛成しなかったけれど、反対もしなかった。父が私の名刺をしまっていることを知っていたら、もっとちゃんと話していたのに・・・。父だってきっと言いたいこともあっただろう。父はどんな思いで、私の名刺を持っていたのだろう。
私の名刺と一緒に父の名刺が出てきた。名刺は名前の前に「秋鹿山林部」と記されていた。住所は「島根県飯石郡志々村大字角井(戸井谷)」となっている。
物心ついたときには、父は農業と林業に明け暮れる毎日だった。長期間家をあけた記憶はなかった。それ以前のことは何も聞かされていなかったので、私が生まれる前、そしてもっと若い頃、父がどこで何をしていたのかまったく知らなかった。
「山林部」というからには、山に入って仕事をしていたのだろうが、木を切り倒すような仕事をしていたのなら、名刺を使うことなどないし、作る必要もなかったはずだ。父は島根県で何をしていたのだろう。
古い名刺を手にして、胸がチクリと痛んだ。私は父の何を知っていただろう。また知ろうともしなかった。頑固で几帳面で働き者、仕事をすることしか頭にない、そんなふうにしか父を見ていなかった。
島根県へ行ってみたい。私はふいにそんなことを思った。どこにいたかもわからないし、たとえ訪ねて行っても父を知る人など、もういるはずもない。父がいた頃とまったく変わっているだろう。それにそんなことをして何になるのか。
それでも遠い日に父が見上げた空の下で、父が立っていた土に触れ、毎日眺めたであろう風景の中に佇んでみたいと思った。
そんな感傷に浸りながら、私は二枚の名刺を胸にしまった。
(02.10.02)
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