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記念写真

 私の幼い頃の写真は、きわめて少ない。自分で記憶しているのは、小学校の入学式に姉が誰かに借りたカメラで、撮ってくれたのが初めてだった。
 子供の頃、田舎の小さな村には、カメラを持っている家などなかった。それはまだ高級品で、庶民が手にできるものではなかったのだろう。
  それでもたった1枚だけ、2・3才の頃の写真が残っている。

 小学校の狭い校庭の西側に、小さな講堂が建っていた。その前にある植木を背にして、祖母を真ん中に二人の姉が並んで立っている。祖母は着物に羽織り姿。姉たちはセーラー服を着ている。
 三人に囲まれるように、小さな私がおびえて写っている。
 学校の行事には、隣町の写真屋がやって来て、記念写真を撮っていた。どちらかの姉の入学式か卒業式だったのだろう。そのついでに頼んで、撮ってもらったのだろうか。
 両親は共働きだったが、暮らしは決して楽ではなかった。子供の入学式や卒業式に出席するゆとりは、当時の我が家にはなかった。
 子供の面倒をみるのは、祖母の役目だった。

 祖父は父が18才の時に他界している。祖母がまだ30代か40を過ぎたばかりだったろうか。18才を頭に5人の子供を抱えての独り身は、並大抵ではなかっただろう。
 それでも祖母は、とても気丈な人だった。性格も相当きつかったが、そうでなければ生きていけなかったことは、容易に想像できる。
 働きづめの一生は、96才で終わった。好きな風呂に入ったまま、眠るように亡くなった。それは、あの祖母に不似合いな、とてもあっけない最後だった。
 春まだ浅い、寒い日だった。

 若くして伴侶を亡くし働くだけの一生に、はたして楽しいことなどあったのだろうか。
 たった1枚の記念写真の祖母は、幼い私を後ろから包み込むように、凛として立っている。
(03.03.29)

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