ガリ版
まだコピーもパソコンもなかった時代のこと。たくさんの同じ書類を作る場合に、謄写版印刷というものを使っていた。現在でも一部に愛好家がいるらしいが、実用で使用されたのはいつ頃までだったのだろう。小学校では、先生はほとんどこれで書類を作っていた。試験問題や家庭への連絡事項、卒業文集もこれだった。
ヤスリの板の上にロウを塗った原紙(油紙といっていた)を載せ、鉄筆で文字を書く。鉄筆で引っかいた部分だけロウが剥がれる。その原紙を謄写版にセットし、インクのついたローラーでなぞることによって下の紙にインクが滲み、文字が印刷される。
鉄筆で書くと「ガリガリ」と音がする。みんな「ガリ版」と呼んでいた。
職員室へ入ると、ガリ版印刷のインクの匂いがぷーんと鼻についた。放課後はよく職員室へ行って、先生が印刷するのを手伝った。きまって手や顔にインクがついた。時にはシャツも黒くすることがあった。洗濯して簡単に落ちたとは思えないが、そのことで親にしかられた記憶はない。生活に追われて、そんなことに頓着している余裕がなかったのかもしれない。
当時はよく作文を書かされた。国語の時間といえば、教科書を読んで漢字を書いて、作文を書く。毎日そんなことの繰り返しだった。時々作文は、ガリ版で印刷してみんなに配られた。
一度だけ褒めてもらったのを、今でも憶えている。父親が、屋根から落ちて死んでいるすずめを見つけた。かわいそうに思い、土に埋めて墓を作った。そんなことを書いただけの、他愛もないものだった。文章がよかったのか、墓を作ってやったのがよかったのかわからないが、とにかく褒めてもらった。やさしい先生だったから、特別よかったというわけではなく、誰もが同じように褒められたのかもしれない。それでも子供心にも、書くことの楽しさを教えられた。
ガリ版でもう一つ憶えているのは、中学の国語の時間だった。太宰の「走れメロス」の感想文を書かされた。当時太宰は好んで読んでいたので、自分でも思い入れがあった。選ばれた何人かの一人として、感想文がガリ版の文集に載った。
国語の教師は、面白みのないつまらない教師だった。ところが受け取った文集は、思いもかけず素晴らしいものだった。その頃はもうガリ版は使われていなかったはずで、とても新鮮だった。紙は普段のザラ紙ではなくて白い半紙だった。インクも黒ではなく青。軟らかい半紙にガリ版の青い文字。それは、それまで知らなかった教師の別の一面を見たようで、とても強烈に心に焼きついた。
その文集には、教師の感想が記されたいた。文面は忘れてしまったが、文章と言うのは心の中に芽生えた一つの思いが、しまいきれなくなってあふれ出るもので、書こうと思って書くのではなく、書かずにはいられなくなるものだ……というようなことだった。それも普段の国語の授業では語られることのなかった言葉で、長い間心に残った。文集は、ずっと大切にしまっていたが、いつとはなしに忘れてどこかへ紛失してしまった。
文章を書くことが好きになったのは、もしかしたら二冊のガリ版印刷の文集のためかもしれない。そして書くことの原点は、そこにあるのかもしれない。そんなことを思うと、ガリ版のガリガリという音と、職員室のインクの匂いが甦ってくる。
(03.08.29)
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