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抱きしめられた記憶

子供の頃に
抱きしめられた記憶は、
ひとのこころの、奥のほうの、
大切な場所にずっと残っていく。

そうして、その記憶は、
優しさや思いやりの大切さを教えてくれたり、
ひとりぼっちじゃないんだって思わせてくれたり、
そこから先は行っちゃいけないよって止めてくれたり、
死んじゃいたいくらい切ないときに支えてくれたりする。

「公共広告機構の新聞広告から」

幼い頃に、両親から抱きしめられた記憶はない。
だからといって、愛されていなかったわけではない。三人の子供の末っ子で、初めての男だったから、むしろ両親の愛情を一身に受けていたのだろう。それは姉たちの話だけでなく、自分でも充分感じていた。
それでも父に対して、優しさを感じたことはなかった。頑固でとても厳しい父親だった。もちろん大人になれば、それが父の愛情だということは、理解できたが…。
父親からやさしくされたこともなかったし、楽しい思い出もない。それは父の性格以上に、子供を抱きしめている余裕もないほど、厳しい生活だったのだろう。農業と林業以外にこれといった産業のない貧しい山村で、当時ゆとりのある生活をしている家など、おそらくなかったのではないだろうか。

そんな父だったけれど、たった一度だけ優しい子煩悩な父親だったことがある。
父親と出かけたことなどまったくなかったのに、二人で潮干狩りに行った。どうして連れて行ってくれたのか未だに思い出せない。
それまで海を見たことなど一度もなかったし、まして潮が引いた海辺で貝を拾うことなど思いもかけなかった。初めてのことにすっかり夢中になった。いつの間にか潮が満ちてきて、膝の上まで水に浸かっていることも気づかなかった。
普段のせっかちな父なら、いつまでも止めないことを叱っただろうと思う。それなのにどういうわけか、何も言わずにじっと見ていた。貝をたくさん拾ったことよりも、そんな父の優しさがたまらなくうれしかった。
翌日からは、働くことしか頭にない、いつもの厳しい父親に戻ったけれど…。
たった一つの思い出の他には、働いている姿しか思い出せない。いつもいつも土と汗にまみれ、つらい顔をした父しか思い出せない。

それは晩年病に倒れるまで、変わることはなかった。
寝たきりになった父は、人が変わったように穏やかな表情になった。まるでこれまでの帳尻を合わせるとでもいうように…。それでもそれはもはや父ではなかったから、私にはかえってつらかった。

もしかしたら厳しく背中を向けることで、父は私を抱きしめてくれていたのかもしれない。
(2004.03.14)
 

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