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また会えるだろう

酔いをさますには足りないけれど、発車にはまだ少し時間があった。
もっと話すことがあったような気がした。そう思いながら改札口へ歩いた。
友人の視線を背中に感じた。感謝の気持ちを込めて、もう一度振り返りたかった。友人の姿を、しっかり刻んでおきたかった。けれど振り返らずに、人混みに紛れた。

東京の友人が、出張のついでに大阪まで足を延ばすと言ってきたのは、2日前のことだった。相変わらず無計画で・・・と詫びていたが、そうではない。
私が弱気なメールを書いたから、きっと気遣ってくれたのだろう。自分ではそんなつもりはなかったけれど、事実少々参っていた。申し訳ないと思う気持ちよりも、会いたい思いの方が強かった。
時間は充分あると思っていたが、それもつかの間に感じられるほど夢中で話した。
出会うのが遅すぎた。ずっとそんな思いがあった。まるでその時間が取り戻せるかのように話した。

人は一生の間に、どれだけの人と出会うのだろうか。何人の人と出会い、声を交わしすれ違うのだろう。もっと早く出会っていれば、私は別の道を歩いていたかもしれない。
そう思える人が何人もいる。反対に、今出会えれば解り合えただろうと思う人もいる。
けれど長い一生は、どこを切っても同じ顔が出てくる金太郎飴ではない。10年前の切り口に彼がいなくて、今ようやく顔を見せたのは、それが人生そのものだからかもしれない。

彼から姿が見えなくなった頃に、人混みに立ち止まり振り返った。
まあいいまた会えるだろう、そう思いながら、現実というホームへの階段を駆け上がった。(02.03.10)