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タイムカプセルの夢

 今にして思えば、幼い頃から変わっていた。マンガが好きだったが、読むのが好きというよりも、マンガの絵を真似て描くことに熱中していた。
 ジグソーパズルを飽きもしないで、黙々とやっていた。その年頃の子供にしては、妙に上手に組み合わせていた。大人が側から教えることを嫌がった。とにかくマイペースだった。
 学校の授業で絵を描くときも、描き始めるのが遅かった。当然時間内ではできあがらず、いつも放課後残って描いていた。絵は好きだったので、展覧会に何度も出してもらったし、賞をいただいたこともあった。
 それでもそんなものは、他の子よりもほんの少しうまかっただけで、特別才能があったわけではなかった。それはどこにでもいる「絵の好きな子」にすぎなかった。
 もしかしたら親が気づかなかっただけで、夢はその頃既に芽を出していたのかもしれない。

 「夢は必ず叶う」そんなことを信じているわけではない。まして彫刻家になどなれるとは思っていない。浪人を繰り返してまで芸大へ入っても、何の約束があるわけでもない。そんなことは充分わかっている。
 夢は叶わなくても、それでも夢を見ていたい。夢が素晴らしいのは、叶うからではなくて、見ているからなのだろう。子供がそう教えてくれた。
 下宿して自分で弁当を詰めて通学した、高校の3年間。古い木造のアパートで、プレッシャーに耐えてきた2年間の浪人生活。
 きっと夢だけを見ていたのだろう。それは放課後一人絵を描いていたように、ジグソーパズルを黙々と組み合わせていたように、その先にある夢の姿が見えていたのかもしれない。
 最後のワンピースを当てはめ、ようやくパズルが1枚できあがった。次はどんなパズルに挑むのだろうか。
 親にできることは、一緒に夢を見ていることだけなのかもしれない。

 小学校の卒業記念に、将来の夢を書いて、タイムカプセルを埋めた。「画家になる」子供はそう書いた。
 タイムカプセルは、今も小学校の校庭に埋まっている。
(03.03.25)

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