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帰郷

 今年の梅雨はよく降る。雨は嫌いではないが、もうそろそろ夏空になってもいい頃だ。そんなことを考えて、ぼんやり窓の外を眺めていると、電話がなった。日曜日の電話は、どうせ何かの勧誘だろうと、重い受話器が上げた。

「もしもし」
「あっ、オレ。憶えてる?」
 憶えているさ。言葉は変わっても、甲高い声は変わらない。テンシャンの高さも子供の頃のままだ。
「元気?しかしよく降るね〜。そっちはどう?」
「どうした?」
 何かないと電話をしてこない。それも落込んだり、嫌なことがある時に決まっている。中学を卒業すると、すぐ東京へ行った。幼なじみというだけで、特別仲が良かったわけではない。いつだって、こっちの思いなんかどうでもいいのだ。
「別に用はないんだけどね。デパートへ行ったんだよ。そしたらね、高いんだよ〜。クワガタ。昔なんかさ、いっぱいいただろう?それがさ、何千円もするんだよ。たかが虫一匹だよ。」
 そうじゃなくて、と言おうと思ったが、それで気が済むならそれもいいだろう。どうせ雨の休日だ。これといって急ぐ用もない。
 そういえば、子供の頃は夏になると、毎日のように山や川へ行った。クワガタやカブトムシを捕った。あの頃は、クワガタなんていくらでもいた。

「帰りたいな〜。みんなにも会いたいな〜。」
 当時夜逃げ同然のようにして、一家は出て行った。子供心にも憶えている。彼はこの田舎を、どんなふうに思って生きてきたのか。
「あのクヌギ林まだあるよね?魚とったあの竹やぶの下の河原も。変わってないんだろうな〜」
「一度帰ってこいよ。」
 帰ってこないとわかっていても、いつものように言った。

 クヌギ林は、もう随分前に切り倒されて植林されている。竹やぶの下の河原も、河川改修されて魚はもういない。田舎だって変わって行く。
 けれど、お前が帰ってくるなら、昔の仲間に声をかける。ガキに戻って、お前の成功話を喜ぶくらいの友情は、みんなだって失ってはいない。みんないつも、お前のことを気にかけていた。いつだって帰ってくるのを待っている。

「ああ、今度仕事が一段落したら、帰るよ。」
 帰れないとわかっていて、いつものように答えた。
「オイ、元気なのか?」
「オレ?もちろんだよ。帰るときには電話するからな。それじゃ。」

 彼は夏が来るたびに、毎年故郷に帰ってきていたのかもしれない。
 もうすぐ山や川を駆け回っていた、夏が来る。

(03.07.06)




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