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たとえその身は

昨日が今日になり、今日が明日へと続く。その繰り返しはいつまでも続くと、人は時々思いたがったりする。
そんな保障はたった一つもありはしないとわかっていても、それに目を瞑り前だけを見つめている。
それでも朝もやの出勤のホームや、眠りにつく前の暗闇の中で急に不安になり、いてもたってもいられなくなる。
そんな不安を打ち消そうと、音楽を聴く。本を読む。海を見に車を走らせる。星を数える。友達に手紙を書く。
そして最後の一日に向かって、ただ歩いていく。

そうなのだ。人は終わりのためだけに生きているのだ。そしてその途中で聞いた鳥の声や海の青さや、出会った人のことを心に刻む。時計の針が止まる一瞬まで。
生きてきた証は、その時の長さではない。何に向かって何を目指して、自分を燃やしてきたか。どれだけ大きな心で人を愛してきたか。
だからもう神を恨むのはやめよう。自分を責めることもしたくない。
もしかしたら死は、生というしがらみから開放して自由にしてくれる、神の慈悲なのかもしれない。

たとえその身は召されても、生きてきた証まで消えてなくなるわけではない。時計の針が止まっても、時は永遠に刻み続ける。
その名前を口にするだけで、いつだって甦る。だから私が名前を呼んだときは、そっと応えてほしい。いつもそうしてくれていたように。
(05.01.01)

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