父への合図 秋も深まり爽やかな一日。農作業をしていると暑い。 それでも抜けるような青い空と、ふわふわの白い雲を眺めながら稲刈りをしているとたまらなく幸せな満ち足りた気持ちになる。 今日で稲刈りが終わった。 今年は豊作だと喜んでいた。地域の人も、私の田を見るたびに声をかけてくれた。 けれど、そううまくいかないのが自然相手の米作りだ。 案の定収穫前になって倒れてしまった。私の田だけでなく、今年は私の地域はほとんど倒れた。やはり冷夏で茎が弱かったのだろう。 まるでムシロを敷いたような稲を、悪戦苦闘の末なんとか刈り取った。全部の田が倒れたわけではなかったので、それがせめてもの救いだった。あとは乾燥して、籾すりをすればはれて米ができあがる。 私は農業が嫌いだった。 それは両親を見てきたから。貧しい農家に生まれ若くして父親を亡くした父は、爪に火をともすようにして生活していた。 母とて同じだった。そんな両親を見て、子供心に貧困は農業のせいと思っていた。 昔は子供も重要な労働力だった。農繁期には夕方暗くなるまで、手伝わされた。 両親はとても働き者だったので、薄暗くなって見えなくなるまで仕事をした。近所の家から灯りが漏れるのを羨ましく思いながら、それでも何も言えず手伝った。 もちろん楽しい思い出もあるにはあるが・・・。 大人になると、さらに嫌になった。小規模な農家では、農業だけでは生活できない。兼業で仕事をしながら農業をする。当然土日は農作業。農繁期には休みなどなかった。秋は雨が降るとさすがに農作業はできないが、田植えの頃は雨が降っても休めない。 それだけ必死にやっても、それに見合うだけの収入が得られない。 嫌だ嫌だと思いながらも、少しばかりの農地に這いつくばるようにして生きてきた両親を思うと、選択の余地はなかった。 両親が亡くなり、農業を止めようと思えば止めることもできるようになった。 人生とは皮肉なものだと思う。そうなればなったで、止めることはできなかった。 もし止めてしまったら、晩酌しか楽しみがなく、ただ働くためだけで終わった父の人生が無になるような気がした。 どんなに頑張っても父を超えることはできないけれど、父が何を思い何を考えて生きてきたのか、それを探すことも決して無駄なことではないような気がする。 ネットで米を売るようになって、たくさんの人に出会った。たくさんの人に支えられ励まされ、たくさんのものをいただいた。 それは父の時代には考えられなかった新しい農業だ。米作りは昔と変わらないけれど、米を作ることや米に対する思いは、少しずつ変わっていくような気がする。 父が流した汗のしょっぱさや涙の苦さを、いつか喜びに変えられたら、もしかしたら父の人生も報われるかもしれない。 倒れた稲を刈りながら思った。 父は今頃「こんな稲を作って!」と怒っているだろう。 その傍らで母が、きっととりなしてくれているに違いない。 突き抜けるような青い空に、ふわふわの白い雲が浮かんでいた。 コンバインに乗りながら、右手を挙げて合図を送った。 (09.09.25) |