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さいはての街礼文に雪が降る

インターネットは世界につながっているのだから、その国の言葉が使えれば、どこの国の人とコミュニケーションをとっても、何の不思議もない。まして日本は言うに及ばずだ。
バーチャルな世界では、デスクに向かっていても、沖縄の海の青さや、凍てつく北の白い大地を感じることができる。
そうとわかっていても、インターネットは時々予期しないときめきをもたらす。それはバーチャルな世界でありながら、なんとリアルなことだろう。

今年に入って、北海道の人とあるサイトでコミュニケーションをとるようになった。それは私の書き込みにコメントをいただき、私がレスをするといった、特にどうということもないものだった。
あるきっかけで北海道の礼文島にお住まいだとわかった。
恥ずかしい話だが、私は昔から地理が大の苦手で、礼文島が地図の上で北海道の上の方にあることぐらいしか、認識していなかった。
家の近くにある湖の写真を拝見した。雪が舞う湖は、なんとも幻想的だった。
雪に煙る湖面と雑木、そしてその前を飛び交うように降る雪の玉。当然といえば当然だが、こちらの雪の風景とは別世界だった。
その頃になって初めて、礼文のことを調べた。

地図を見て驚いた。北海道の最北端の島で、大声で叫べば届きそうな位置にサハリンがある。島を囲むように海岸線に沿って連なる集落。
唯一の湖(久種湖)は、島の北側にあった。湖と海(船泊湾)に挟まれるようにして街並みがある。
「船泊」。演歌の「舟唄」が聞こえてきそうな、旅の終わりに相応しい名前。
船泊湾を囲むようにスコトン岬と金田ノ岬がある。金田ノ岬にある礼文空港は、休止中となっている。
礼文島へ行くには、利尻島まで飛行機で行き、フェリーで香深に渡り、そこからはバスに乗ることになるのだろう。

私は周りを高い山に囲まれた、すり鉢の底のような村に住んでいるので、海や港に対する憧憬が強い。こちらでは山に阻まれ、輝く朝日も燃えるような夕陽も見られない。昇り沈む光の中に佇んでみたい。遮るもののない岬に立ち、大声で叫べばどんなにか気持ちがいいだろう。
それでも今は冬。極寒のさいはては、きっと想像をはるかに超えた厳しさに違いない。そこに身を置けば、私の甘っちょろい人生観などは、もろくも打ち砕かれてしまうかもしれない。
はるかな礼文島に思いをはせ、いつ訪れるともわからないさいはてをさまよった。

さいはての街礼文は、きょうも雪だろうか。
 

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