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ブラッド・メルドーという希望

「アート・オブ・ザ・トリオ Vol.3」の一曲目のピアノが流れたときから、何かを予感した。
両手を独立させてアドリブ演奏を同時展開する、驚異的なプレイ。それよりも、まるで鍵盤に思いを吹き込むように弾く音と音の間合いに、ブラッド・メルドーの素晴らしさを感じる。
それは単に「リリシズム」とか「ロマンチシズム」と言った、手垢にまみれた言葉では言い表せない、彼自身の内なる言葉のようだ。
ビル・エヴァンスとの比較など意味はないし、彼を聴くようになっても、ビル・エヴァンスが私にとって、最高のピアニストであることには、何ら変わりはない。
けれど私がビル・エヴァンスに感じることがなかったものを、彼のピアノは聴かせてくれた。
すべての音が優しく、人を包み込むように心にしみてくる。そしてそれは心の中に、何か光のようなものを残していった。
ビル・エヴァンスの「リリシズム」が、突き詰めていくと、研ぎすまされていくのに対して、彼のそれは音も思いもどんどん広がって、ぼやけて漂って、やがて世界と一体化するような気がする。

何年か後に彼のピアノを聴けば、初めて聴いたときのことを、きっと思い出すだろう。
胸の高鳴りや、そのことで出会えた人、そしてその後の自分がどんなふうに変わっていったか。その時どんな暮らしぶりをして、どんな思いでジャズを聴くのか。彼は私の心にどう響くのか。
そんなことを考えると、何か遠いところに光を見るような気がする。もしかするとそういうことも、未来なのかもしれない。

もしブラッド・メルドーを聴かなかったら、日常がどう変わっていたか。その答えはずっと先にならなければ、わからないだろう。けれど今でもわかっていることが、一つある。それは今の自分ではなかったということ。
もしかしたら音楽というのは、そういうものかもしれない。
たとえ形を持たなくても、人の心の奥深くにしみ込んで、どんなときにも消えはしないし、誰にも奪われることはない。それは「希望」に似てはいないだろうか。
そんな音楽や人との出会いを用意してくれた人生を、愛おしみながら暮らして行こう。

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