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街のスケッチ(4)−ワルツ・フォー・デビィ

交差点の角のコーヒーショップ。いつもの奥まった席で、彼女はいつものように待っていた。何度こうやって待ち合わせただろう。いつもと何も変わらないのに、彼女に微笑みはなかった。俯いたまま肩を小さくふるわせていた。私はかける言葉が見つからず、ただ黙って腰掛けた。深夜の店内には他に客はなく、BGMの小川のせせらぎだけが、遠いところで流れていた。
彼女は何かを振り切るように、首からネックレスをはずして、何も言わずに私の前に置いた。それが二人の終わりの儀式でもあるかのように、微かにぬくもりが残るネックレスを、私は握りしめた。
「夢諦めないで・・・。頑張ってね・・・。」それだけを残して、彼女は静かに席を立った。
「待ってくれ」ここまで出かかった一言が言えなかった。そして彼女は振り返らなかった。
一人残された私は、溢れる涙を飲み込むように、冷めてしまったコーヒーを流し込んだ。店のマスターは、何も言わずにBGMをレコードに替えてくれた。

スコット・ラファロのベースが、ズンと重く響いて、ビル・エヴァンスの柔らかいタッチが、鍵盤の上を流れていく。
なんて美しいのだろう。ビクター・ヤングのポップ・チューンをこんなにもリリカルに、ロマンチックに演奏するなんて。
「マイ・フーリッシュ・ハート」あまりにも私にはできすぎのタイトル。美しすぎて切なくて、やっとこらえていたものが、堰を切って溢れ出てくる。それは悲しみではなくて、何か得体の知れない感情が、胸の中にしまいきれずに流れ出してくるのだ。

私にどうしろと言うのだ。何ができるというのだ。親の勧める結婚を引き留められる持ち駒は、今の私の手には何一つなかった。夢しかないのに、待ってくれなんて言えなかった。それなのにまだ夢を見ろと言うのか・・・。

観客の拍手に我に返ると、ビルは「ワルツ・フォー・デビィ」を弾き出した。兄の娘デビィのために書いたこのワルツは、とても愛らしく、幸せな気分に満ちあふれている。ここでもスコットのベースの表現力には、思わず息をのむ。
幸せな時を思い出していると、「デトゥアー・アヘッド」がスコットのベースで始まった。ビリー・ホリディも歌ったスローバラッド。
スコットの指使いまで聞こえてきそうなベースに、ビルの気怠いピアノがまとわりつく。空っぽになった心に、ベースが心地よく響く。
「マイ・ロマンス」「サム・アザー・タイム」「マイルストーンズ」と続き、どの曲も三人のインタープレイのすごさに、引き込まれていく。

ビルのピアノは、ロマンチシズムをつきつめ、どんどん自己の内面へと突き進んでいく。それが一種の暗さとなって、翳りをたたえ鍵盤を通して引き出されていく。
1961年のヴィレッジ・ヴァンガードのライブは、後世に残る名演奏だった。ビルとスコットという二つの心は、互いに対話しながら、まさに絶妙の間合いを保っている。技術的な駆け引きではなく、心と心がひびき合い、まるで奇蹟を聴くようである。
けれど運命は、いつだって残酷だ。スコットはこのライブの10日後に、自動車事故であえなくこの世を去ってしまう。かけがえのないパートナーを失ったビルは、エディ・ゴメスと出会うまでの1年間というもの、そのショックから立ち直れなかった。その後エディと充実した演奏を繰り広げるが、やはりスコット以上のパートナーには、生涯巡り会うことはなかった。
人の悲しみは癒されるのだろうか。時という魔法は、涙をきらめきに変えてくれるのだろうか。

いつの間にか、レコードは終わっていた。私は、握りしめていたネックレスをポケットにしまい、喫茶店を出た。見上げた空には、降ってきそうな星が、一面に散らばっていた。


あれからこの角を通るたびに店に来てしまう。マスターはあの頃と同じように、無口で目で笑うだけだ。何も言わなくてもあのレコードをかけてくれる。そしていつもの席で彼女が待っていそうな気がする。とっくの昔に母親になっているだろう彼女が、髪を後ろで束ねただけのあの頃のままで・・・。
私はといえば、相変わらず夢を書き続けている。

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