小さい太郎の胸に、深い悲しみがわきあがりました。
安雄さんは、遠くにいきはしません。同じ村の、じき近くにいます。しかし、きょうから、安雄さんと小さい太郎は、別の世界にいるのです。いっしょに遊ぶことはないのです。
小さい太郎の胸には、悲しみが空のようにひろく、深く、うつろにひろがりました。
ある悲しみは、なくことができます。ないて消すことができます。しかし、ある悲しみはなくことができません。
ないたって、どうしたって、消すことはできないのです。
いま、小さい太郎の胸にひろがった悲しみは、なくことのできない悲しみでした。
(新美南吉「かぶと虫」)
何度読んでも、なんて悲しい童話なんだろう。
南吉の童話はみんなある種の悲しさがある。「ごんぎつね」もそうだ。
文章を書いて行きたいと思ったのも、そしてそれをやめようと思ったのも、南吉を読んだからだった。泣くことができない悲しみがあること知り、涙で癒せない悲しみがあることを知ったから。
人はいつだって、何かと決別しながら生きていくんだ。そしてその度に、胸がキリキリ痛むような、孤独感と絶望感にさいなまれる。
それでもやはり何かを求め誰かと出会い、切なさの中に身を置くのかも知れない。
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