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過去からの電話
(ビートルズを憶えていますか)

 その日も朝からよく晴れていた。夏の陽射しは、やる気を奪い取るように容赦なかった。電話のベルさえも暑く感じられた。

「久しぶり。突然電話して申し訳ない」
 Tと名乗る男性の声に聞き覚えがなかった。親しげな話しぶりに、どちらさんですかとも聞けず、Tという名前を記憶の中から探した。辿り着く前に相手が言った。
「きっと憶えてないと思うけど、高校の時一緒だったTです」
「あぁ・・・」
 そうは応えたものの、まだ顔は浮かんでこなかった。第一「高校」そのものが、遙か遠くにかすんでしまっている。

 進学校でクラスほとんどが大学受験に必死になっていたから、友達を作るという雰囲気ではなかった。早々と受験レースから落ちこぼれた私は、疎外感から気の合う数人としかつき合っていなかった。 Tは秀才グループだったから、当然話したことなどなかった。
 そんな彼が、今頃私なんかに何の用があるというのだ。嫌な思いがした。

「君は気づいてなかっただろうけど、ボクはいつも君たちのこと見てたんだ。あの頃君たちがビートルズの話をしていたの、聞いてたんだ。ボクも本当はビートルズが好きだった。でもそんな余裕がなかったから・・・」
  私だって余裕などなかった。むしろ私の方こそ行き詰まっていた。みんなのように一流大学を目指す学力もなく、気力さえもなくしていた。そんな私にクラスの中での居場所はなかった。
 そんな時出会ったのが、ビートルズだった。他の者とは違うという焦燥感を、ビートルズは充実感に変えてくれた。みんなと同じでなくていいんだ。人はみんな一人一人違っている。違っていることを誇りに思えと、彼らは教えてくれた。自由でいることの大切さと素晴らしさも、彼らから教わった。
 もし彼らに出会っていなかったら、私の高校生活は、きっと悲惨なままで終わってしまっただろう。卒業後も心を閉ざしたままの生活だったかもしれない。

「実は今、入院しているんだ」
 私は急に現実に引き戻された。
「体はどうってことないんだけど、ここが駄目になって・・・」
 彼は電話の向こうで、きっと胸を指していたのだろう。次々と飛び出す彼の意外な言葉に、私は黙って聞くしかなかった。
「この間病院のテレビを見ていると、CMでビートルズの曲が流れてきたんだ。笑うだろうけど、涙が出てきて・・・。」
「そしたら何故か急に昔のことを思い出して、君に電話しようと思ったんだ」

 彼は思い出すように昔のことを話した。志望通り一流大学に合格し、一流企業に入った。順調そのものだった彼も、折り返しに近づいた頃に人生に裏切られ、気づいてみれば身も心もボロボロだったという。
 当時既に戦いに敗れていた私には、ビートルズが必要だったけれど、勝ち進んでいた彼には、必要なかったのかもしれない。そして今、彼はビートルズが必要になった。

「今度ビートルズのCD持って、病院へ行くよ」
 私の記憶の中にはなかったのに、彼は私を憶えてくれていた。そして電話をしてくれた。そのことがとてもうれしくて、私はそう言った。
 いいことのなかった高校生活だったけど、今頃になっていい思い出ができそうな気がした。

 T君は、電話を切る前に言った。
「でも・・・本当にいいのか・・・?」
 私は応えた。
「何言ってんだ。いいに決まってるよ。久しぶりにビートルズの話をしよう」

(02.07.18/いつか見た風景)

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