ブルース
浅川マキのブルースは、いつもそんなぼくたちが棄てたはずの、棄てられてしまったはずの、「ふるさと」への未練や後悔を歌い続ける。あるとき「ふるさと」は昔愛した男や女であったりもする。
そしてぼくらにかわってずいぶん長い言い訳をしてくれたり、「くやしさ」や「さみしさ」を、懐かしい大切なものであったかのように解放してくれる。
(奥成 達「浅川マキCD灯ともし頃」から)
浅川マキのブルースはとても暗い。それでもなぜかあたたかみがあったり、聴いていて癒されるのは、つらさを「懐かしい大切なもの」に変えてくれるからだろうか。ブルースはそういうものかもしれない。黒人が歌い始めたのも、きっとそんな思いからだろう。
淡々と歌う。無表情とさえ感じる。つらさやくやしさやさみしさ、そういったものを突き抜けた奥深さを感じる。
寺山修司のアンダーグラウンドで出てきたときから、その魅力が何なのかわからなかった。でも奥成達の文章を読むと、すんなりと納得できる。単なる暗さではなくて、そこにはいろんな光が織りなすグラデーションが見える。
未練や後悔を感じたことのない人にはきっと無縁だろう。懐かしい大切なものも持たないのだから。(13.05.16)
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