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空に星があるように

大阪駅の雑踏で友達のことを思い出した(手紙)数日後、何気なく聴いていたFM放送から、懐かしい曲が流れてきた。

日本の大学が第二次安保の影響で荒廃していた時代があった。そんな社会情勢の中、大学生を中心とした若者たちの間では、ジョーン・バエズやボブ・ディランをはじめとした反戦や社会批判のプロテストソングが流行った。
やがて大学紛争は、若者の心に絶望の残骸を残し終焉する。音楽もプロテストからジャパニーズ・フォークへと移って行った。

 空に星があるように 浜辺に砂があるように
 ボクの心にたった一つの小さな夢がありました

荒木一郎が淡々と歌う「空に星があるように」は、空洞化した心に浸みるように流れた。

友達は、大学当時から反戦や反核といった運動には、まったく無関心だった。考古学という古代ロマンに没頭していた彼には、当時のムーヴメントも空しいだけのお遊びに思えたのかもしれない。
だからそのことが彼を死へと駆り立てた原因とは、到底考えられなかった。
彼にも夢があったはずだ。大きな発掘をして名を馳せることだったろうか。著名な考古学者になることだったろうか。いずれにしても、志半ばですべてを投げ出してしまうほどの何かが、彼の身の上に起こったことは間違いなかった。
けれど当時もそして今も、私には思い当たる節がない。私は、彼の何をわかっていただろう。彼がどんな夢を見て、何を探して、何を思い悩み、何に打ちのめされたのか・・・。
「友達でいてくれてありがとう」と彼は言ったけれど、私は友達のことを何一つわかっていなかったのだ。

 何もかもすべては 終わってしまったけれど
 何もかもまわりは 消えてしまったけれど

彼は、大きな夢を持たなければ超えられない高い崖の上から、飛び越えたのだろうか。大きな夢をなくさなければ、超えられない向こうの世界へ。
残された私は、夢を見続けただろうか。夢を果たせただろうか。私に一体何が残ったというのだろう。

 それは誰にもあるような ただの季節のかわりめの頃

そんなふうにやり過ごしてきた私のことを、彼は向こうからどんなふうに見ているだろう。
懐かしい歌を聴きながら、心を射るような彼の目を思い出していた。
(02.05.08)

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