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隠岐の海

あれからどれだけの夏が通り過ぎただろう。夏が来るたびに、行きたいと思った。夏を見送るたびに、来年こそ行こうと思った。
何年、何十年過ぎても、私の中の隠岐の海は、その青さを変えることはなかった。 防波堤に打ち寄せては返す波のように、思いは消えることはなかった。

大阪での40日間と隠岐での一週間、そして毎年数が増えていく年賀状。私と友人をつなぐものは、たったそれだけだった。
私はいたずらに年をとった。あの頃のひた向きさも熱い思いも、生活という詭弁にすりかえて、目をつむってきたのかもしれない。
今年の隠岐からの年賀状は、そんな私への警鐘のように届いた。
「主人は、永眠いたしました。お知らせの不手際を、どうかお許し下さい。」

私はゆっくりタラップを降りて行く。彼は船着場で、あの夏と変わらないはにかんだ笑顔で迎えてくれる。あの「西郷寮」は、今もあるのだろうか。民宿までの道を歩きながら、私は何から話そう。彼は、いつものようににこにこしながら、聞いてくれるだろう。
波間を縫うようにキラキラ光る太陽と、苦しくなるほどの潮の香りが、そんな二人を懐かしく包んでくれる。
いつもそんな風景を思い描いてきた。

年賀状は、もうその枚数を増やすことはない。けれど隠岐の海は、色あせはしない。友人に会いに隠岐へ行きたい、その思いは消えることはないだろう。
彼はいつまでも、桟橋で待っていてくれそうな気がする。あの日、手を振りながら見送ってくれた、あの笑顔のままで。

引かれた一本の線は、どこかで途切れる。誰もその時を知る術がないだけ。
隠岐から届いた最後の年賀状は、そう告げているかのように、か細い線で綴られていた。

今年の夏は、隠岐へ行こう。

(04.01.25)

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