宮城県でお話したこと

自分でいること

お客さんと思いが通い合うと、おいしいといったことは、さほど重要ではなくなってきました。
ある年に私の地域で、イモチ病がひどい年がありました。他の農家は、さかんに消毒をされました。私もインターネットで販売していなかったら、農薬を散布しただろうと思います。それでも既に固定客ができていましたので、いつものように1回の消毒だけで辛抱しました。当然収穫量は少なく、米もよくなかったし、いつものようにおいしい米にはなりませんでした。ホームページにそのことを載せ、予約を受けていた人には、その旨を説明し、気に入らなければ遠慮なく送り返して下さいということで、発送しました。返品を覚悟していましたので、届いた感想はとてもうれしいものでした。
大阪の40代の男性は、確かに去年の米に比べるとおいしくない。けれど農薬を散布しなかった結果がこの米なら、私はこの米を食べようと思う。そう言っていただきました。
これまではスーパーで何も考えないで買っていた。米の味も農薬のことも気にかけなかった。農家の人がどんな思いで米をつくり、どんな苦労をされているかなんて、考えたこともなかった。インターネットで米を買うようになって、そんなことを思いながら、米を味わって食べるようになった。そんなふうに言っていただきました。
また30代の主婦の方は、おいしい米は探せばいくらでもあります。私がこの米を買っているのは、おいしいからじゃないのです。あなたが作った米だからです。そんなことはこれまでのおつき合いでわかってもらっていると思っていました。そういうお便りもありました。他にもたくさんの励ましのお便りをいただきました。返品はありませんでした。

その年は私にとってつらい年でしたが、もしその年がなかったら今のように続けていなかったかもしれません。その時お客さんに教えてもらったような気がしました。
自然相手の農業ですから、どんな年もあります。けれど大切なことは、どんなときも自分でいること。自分の米を作るということ。そして時間をかけても、自分の米をわかってもらえる人を探すということ。

人と人のつながり

私のやり方がいいということでは決してありません。やり方や考え方は人それぞれです。大切なことは、人と同じ事をやるのではなくて、自分だけのやり方で自分の米を売るということです。
私はインターネットで、たくさんのものをもらいました。たくさんの出会いがありました。
それは全部が全部、売上げにつながることではありません。
それでもお金には換えられない、お金では買えないものをいただきました。
そしてそれは、ホームページを維持していくことや、強いては米を作っていくことの力になっていると思います。
もしインターネットで米を販売していなかったら、宮城県からお電話をいただくことは、なかったと思います。みなさんにお目にかかることも、100%ありませんでした。
インターネットは大きな可能性を秘めています。それをどう生かすか、どう使うか、それは一人一人の意欲と思いにかかっていると思います。

とても残念なことですが一部には、新米といっても古米が混ざっていたり、コシヒカリといってもその割合が20%というような米が、安価で販売されているそうです。そんな米が本当の米だと思われるのは、米を作っている者とすれば、とても悔しいです。
一生懸命作った米は、正当に評価され、適正な価格で販売されるべきだと思います。インターネットは、それを可能にしてくれます。
インターネットという今までになかった媒体を使っても、大切なのはやはり人の心、思いです。パソコンの四角い画面に向かっていても、その画面の向こうには、生身の人間がいます。結局人と人のつながりだろうと、私は思います。