北海道からのお便り
「物語」を買って下さい
米を売ろうと思うからつまらなくなるのです。だから「物語」を買って下さい。
田舎の晴れた空・きれいな水・田を渡る風を受け取って下さい。
そして出会えた奇蹟を。
大友様(釧路市)から届いたお便り
夕方、家内から職場に電話がありました。
「お米が届いたよ。」の知らせに、「何だか『畦道で出会った人達』にあった話と同じだなあ。」と思いつつ、定時に退館して帰宅しました。家内は箱を開けずに私の帰りを待っていたので、着替えもそこそこに開封しました。
家内が「あら〜っ!」と驚きの声とともに手にしたのは素敵な花です。
私はHPで、足立さんのお米ファンの方が、同じように「ほおずき」が添えられているのを目にした時に、「やられたなあ。」という表現をされたのを読んでいましたが、やはりその方の気持ちがよくわかりました。花は千両と小さな菊、それに白い花は何でしょう?「さざんか?」「違うかな?」暫く考えて、家内が「お茶会に飾る『わびすけ』かな?」と言いました。「そうか!足立さんがお米に花を添えるのは、茶の湯の『わび、さび』なんだ!」と思わず、決めつけたようなことを言ってしまいました。
足立さんが、杉原紙にお言葉を添えられることを、「開封したときに、その物だけが出てくると、黙って突き出されたような気がするのではないか・・・なんて思ってしまいます。」と仰っていたことが、茶の湯の「おもてなし」につながるものがあるのではないか、と考えました。花を花瓶に活けた時に、息子と娘が相次いで帰ってきました。
家内がお米を研ぐのももどかしく、ご飯のたけるのを家族で待ちました。「お母さん水加減大丈夫?」と娘が言うと、家内は「まかせなさい!」と太鼓判サインを出していました。
家族皆んなで、ご飯の炊けるのを待つ、それは、私が子どもの頃に、夕飯がライスカレーだった時の光景です。私がブロック状のカレー粉を削り、姉がルーを担当、母はいつもより多めのご飯を炊く、皆んながその炊きあがりを待つ、というものでした。あの頃のことを懐かしく思い出しました。
ご飯が炊けました。「お父さん、やっぱり違う。これっ、ご飯が光っている。」と娘が言うと、ひとつまみ口にした家内は「うん。おいしい!ねばりがあって最高!」と自分の炊き加減ともども満足そうです。息子と私は、食卓に運ばれるとすぐにご飯を口にしました。やはり、ただ一言「おいしい!」です。息子の修学旅行土産の千枚漬けもありましたが、ご飯一膳をいただくのに、一口手をつけただけでした。「おいしい。」「おいしいね。」その言葉の繰り返しだけです。「おかずがいらなかったね。」という家内の言葉に皆んな笑いながら同意して、本当においしく、おいしくいただきました。
子ども達も、足立さんの「清水舞」のメッセージを読んでいました。「きっと毎日、テレビの天気予報を気にかけているんだね。」「稲にも音楽聴かせるのかな?」「牛じゃあないから、それはないんでない。」「お父さん、おいしかったです。ありがとうございました。って、ちゃんと書いてよ。」などと会話がありました。ありがとうございました。
本当においしかったです。それに、家族で食卓を囲む、団らんの一時がとても楽しいものでした。家族皆んなで、お米を一生懸命に作っている足立さんのお姿を想像しています。「明日の朝は、おにぎりね。」これも「畦道で出会った人達」にありましたね。子どもの頃を思い出す、というのもあったように思います。色々な所で、足立さんのお米を食べた人達が同じ思いをしている。そのお仲間になれて、凄く嬉しいです。足立さんとお知り合いになれ、ジャズを聴き、仕事への勇気をいただき、おいしいご飯を口にできる。本当にありがとうございます。心からさまざまな出会いに感謝します。